東京高等裁判所 昭和39年(う)106号 判決 1965年1月25日
主文
本件控訴を棄却する。
当審における訴訟費用は、被告人の負担とする。
理由
控訴趣意第二点および第三点について。
右第二点の所論は、乗客掛としての被告人の業務上の注意義務は、乗客の一人一人を誘導し、その危険を防止するまでには及ばないものであり、同第三点の所論は、被告人は、乗客掛としての職務を十分に果していて、過失責任はないから、原判決には、事実の誤認があるという旨の各主張に帰着する。
しかし、およそ人の生命、身体に危害を生ずるおそれのある危険業務に従事する者は、その業務の性質に照らし危険を防止するため法律上、慣習上もしくは条理上必要なる一切の注意をなすべき義務を負担するものであつて、法令上明文のない場合といえども、この義務を免れるべきものではないと解すべきであり(昭和三七年(あ)第二二〇九号同年一二月二八日最高裁判所第二小法廷決定、刑集一六巻一二号一七五二頁参照)、また、駅長その他の鉄道従業員は、単に列車の運転に関する特別の規定を守るだけで、その義務を常につくしたということはできず、いやしくも列車の運転に関して危険の発生を防止するに可能なかぎり、一切の注意義務をつくさなければならないものであるから(昭和三〇年(あ)第二八二二号同三二年一二月一七日最高裁判所第三小法廷決定、刑集一一巻一三号三二四六頁参照)、駅長、その他の鉄道従業員(助役、車掌、乗客掛、駅務手などの名称のいかんを問わない。)が、プラツトホーム(以下、たんにホームという。)にいるときには、法令に明文のない場合においても、ホーム上における旅客の安全を常に確認する注意義務があるものといわなければならない。
本件において、原判決挙示の証拠および当審における事実取調の結果をも合わせて考察すれば、原判示西武鉄道株式会社池袋線保谷駅に駅務手として勤務し、本件の事故発生した当夜には乗客掛をも命ぜられて、旅客の誘導、案内、整理、乗降の危険防止などの業務(西武鉄道株式会社鉄道係員服務規程第一二六条、第九〇条、第九一条)に従事していた被告人は、昭和三六年五月一一日午前零時三三分保谷駅に到着した四両編成の第四六九電車(以下、たんに本件電車という。)を保谷駅の車庫に入庫させるため駅長その他の上司のいない同駅プラツトホームにおいて原判示駅務係恵沢一夫と車掌篠武弘の三人だけで旅客の降車、整理に従事し、被告人は後部二両を担当したこと、本件電車は客扱終了後同駅の車庫に入庫するものであり、後続の最終電車が到着するのは同日午前零時四三分で、入庫する時間についても列車のような時間的厳格な制限もなく、かつ深夜であつて、旅客も比較的少く(五〇名か六〇名位)、旅客のうちには酔つたり居眠りをしたりして、車両内に居残る者もあつたが、後部二両については、三両目に二名、四両目に一名あつたのみで混雑時とは異り客扱いに十分の時間的余裕があつたこと、被告人は先ず四両目の最後部のドアーから車内に入り、同車両の前の方に向つて左側の中程の座席に眠つていて酒の匂いがした原判示被害者矢島喜一の肩を三回位叩くと同人は眼をさまし、一寸ふらふらしながら右側中央のドアーからホームに出て行つたが、被告人はこれを見送つたのみで同人が下車をしてから単独でホームにある待合室などの安全な場所に行くことができるかどうかを確認することをしないでそのまま車両の連結部から三両目の車両に赴き引き続き同車両内に居残つた旅客の整理に当つたこと、そして、前記居眠り客二名に降車を促しまたはこれを助けて車外に連れ出すなどして旅客整理を終え、中央のドアーからホームに出るや、直ちに前記駅務掛恵沢一夫を介して車掌篠武弘に対し客扱い終了の合図をしたが、右合図前に右三、四両目の連結部又はホームとの近接部を点検注視して線路敷に転落した者の有無など旅客の安否を確認することが可能であつたに拘らずこれをも怠つた為被害者矢島喜一が三両目と四両目との連結部の間隙(その地点は、被告人が客扱い終了の合図をするため立つていた地点から僅か一一・四メートル距つているにすぎない)から線路敷上に転落していたのに気付かなかつたこと、よつて、右合図により右車掌篠武弘をして戸閉操作をなさしめたうえ、原判示運転士鈴木崇弘をして本件電車を発進させたため、原判示のごとく右被害者を四両目右側下部とホームの間で圧轢死させるに至つたものであることを認めることができ、これと反する被告人の原審第一回および第六回公判調書中の各供述記載部分ならびに被告人の当審公判廷における供述部分は、措信することができず、他にこれをくつがえすに足りる証拠資料はない。してみると、本件のいわゆる交通事故は、駅務手として原判示の業務に従事していた被告人において、相当酩酊をしていた被害者矢島喜一が保谷駅のホームにある待合室などの安全な場所に行くことができるかどうかを確認しなかつたことと自己の担当する車両とホームの近接する周辺に、旅客がいたかどうかを注視する業務上の注意義務を怠つたために惹起されたものであるから、前記判例の趣旨に徴しても、被告人は、本件の所為につき過失による罪責を免れることはできない。(なお、原判示車掌篠武弘にも、本件の交通事故につき、保谷駅に下車した旅客の、ホームにおける安全を確認することについての過失があつたのではないかとうかがわれるふしもあるが、これは別の問題とする。)。されば、原判決が、被告人の本件所為につき業務上の注意義務違反があると認定判示した一部には、やや措辞妥当を欠くきらいがあるけれども、被告人に対する本件所為についての過失責任を認めたことは正当に帰するものであつて、同判決には、所論のような事実の誤認はないから、各所論は採用できない。(その余の判決理由は省略する。)(裁判長判事小林健治 判事遠藤吉彦 吉川由己夫)